中欧の旅
ベルリン(ドイツ)
東ベルリンから逃がれようとして多くの人が犠牲となったベルリンの壁や森鴎外が住んでいた地域を廻りました。
観光地で戦争の悲惨さを伝承している所は日本では沖縄・広島・長崎などにありますが首都圏では見あたらない。戦後すでに67年経った今、ドイツは首都のど真んで自らの過ちを伝承している。
中国や韓国の指摘にかかわらず、日本独自のものがあって当然と考えるのだが・・・。
ブランデンブルク門の地下鉄駅のプラットフォームの壁には多くの歴史を語る写真タイルが貼られていました。(写真上と右 下は2012年4月現在のベルリンの壁;壁画で飾られていた。)
ドレスデン(ドイツ)
ザクセン王国の首都として、かつては「百塔の都」と称され、エルベ川の水路を利用して発展した商都ドレスデンを訪問した。
バロック建築の「芸術と文化の街」は第2次世界大戦時にはほとんどが破壊された。東西統一後街ぐるみの再建作業が続いている。
レジデンツ城外壁の「君主の行列」マイセンの技術が生きているとの事、色々な技術が歴史や文化の保存に役立っている事を再認識した。
ヨーロッパで最も中世の雰囲気が感じられる街プラハを訪問しました。
プラハ城(現在大統領官邸)と聖ヴィート大聖堂の美しいステンドガラスを見てカレル橋まで「黄金の街」歩きました。
時計塔に登ってプラハ旧市街をを望むと、広場はゴシック、ルネッサンス、バロック様式の建物が広場を取り囲んでいでいて美しい。
プラハ(チェコ)
衛兵の交代
チェコの大統領官邸となっているプラハ城 1時間ごとに衛兵の交代が行われている。
(スリが多いので注意が必要)
街並みが美しい
チェスキークロムロフ(チェコ)
プラハから南に向かい美しい街をいくつか超え、180Km程行ったオーストリア国境近くにあるチェコ南部の街チェスキー・クルムロフにたどり着く。
チェスキークルムロフはドナウ川の支流、ヴルタヴア川のほとりに中世の雰囲気をそのままに残した「城と街並みが調和した美しい街」でした。世界遺産に登録されている。
左はチェスキークロムロフの川と街並み・城の航空写真
芸術の街ウィーン
(オーストリア)
神聖ローマ帝国の皇帝として中欧を納めたハプスブルク家のお膝元。多くの芸術家を輩出きた芸術の都で"シェーンブルン宮殿、王宮、ケントナー通りを観光した。
オーストリア併合
1938年、この建物のベランダでヒットラーが広場を埋め尽くした大群衆を前に演説した。
オーストリア併合時のスピーチは完全に自分の台詞に酔って、きっと大衆も酔いしれていたのでしょうね。
写真下はウィーンの繁華街でのストリートパフォーマンス どうして転ばないんの?
ウィーン~ブラチスラバ
新緑の中をバスはブラチスラバ城に向けて気持ち良く走りました。約70Km
1時間の旅でした。 ブラチスラバでは現地ガイドの元気な声が響き渡りました。
ブラチスラバ(スロバキア)
戦略的な要衝として、紀元前のケルト時代から城が築かれてきた場所に立つ。15世紀に全面的に改築され、トルコへの防備を固めていく。16世紀にはハンガリー王国の首都となったこの町の象徴的存在となった。4隅に塔が立つ独特な外観のため、「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれる。18世紀、女帝マリア・テレジアの時代に、ハプスブルク家の宮廷としてふさわしい姿とするため、さらに手を加えられ、黄金時代を迎えた。19世紀、火事により荒廃、20世紀に修復されている。
え! これ人間(生きています。)
一方は銅製です。
ブタペスト(ハンガリー)
ブダペストの夜明けは遅い、時差ぼけで早く目覚めたせいもあるが、サマータイムを採用しているので意外と遅い。朝焼けと電車、バスの動きが目に残った。
最初に寄った王宮の丘からペスト側の街は美しい、しかし期待したドナウ川は濁り青くはなかった。 私は丘を下って街を散策し、せっかくブダペスト来たのだからと「噂のドナウクルーズ」にでかけた。ボーと景色を見る・・・。
国会議事堂は川からの眺めの方がいい・・・。
ホテルにはタクシーを使わず、世界で3番目に古い地下鉄に乗った「さすがに古い!」と思った。階段にエスカレーターが付いていたがスムースに動かない。
ホテルのエレベータも同じくスームスに動かなかった。
ドナウの風に吹かれて
ドナウクルージング
王宮殿の衛兵交代
ドナウ川を見下ろすブタ側にある王宮は現在大統領官邸となっている。その衛兵の交代の場面に遭遇した。
この日は中国の主席が訪問されているため警備が厳しかった。